これは、ある朝、生まれて初めて血尿が出て、検査、告知、セカンドオピニオン、入院、手術をへて、退院した波瀾万丈激動の1ヶ月を体験した男の体験記である。血尿が出てビックリした人や不安感に苛まれている人は是非読んでいただきたい。血尿の原因として最悪のケースである腎臓ガンの闘病記を私なりの視点で書いてみた。

2007年7月29日(日)

早朝、寝ぼけてトイレに行き小用をした。何やらおしっこの色が違う?「血?!」うやむやなまま、眠かったのでまた床につく。予定の時刻に起きて、またトイレに行くとまたおかしい。おしっこの代わりに血が出ている。どこも痛くないし放尿時の痛みも無いのに、混じっているとか潜血とかではなく、赤ワインのような血尿。生まれて初めての事態に何か自分が納得する理由を探す・・・「酷く疲れたときに血尿がでると聞いたことがある。一昨日は炎天下で海の上、昨日は飲み会のあと球拾い。そうか疲れているんだ。すぐ止まるかもしれんし。昼まで様子を見て昼から医者いこう。」・・・午前中、市PTAのソフトボール大会があったので取りあえず参加した。一応、体をいたわってプレイした。会場の隅でした立ちションも赤かった。ピンチだ!!

今日は日曜日、急患になるので電話してから市立病院に行くことになった。嫁さんに「血尿が出たから、医者に行く。」と告げた。ここから彼女も1ヶ月間苦悩の道を共に歩むことになる。市立病院についたが、急患の患者が多くなかなか見てもらえない。泌尿器科の先生は居ないようなので、とりあえず内科の先生に見てもらうことになった。検尿カップを渡されて尿を取るが、相変わらずの赤ワイン、他の人に見られるとやばいような気がしてカップの中身を隠しながら廊下を歩いた。ひとしきり待たされて、内科医の問診で「腰のあたりに外的な衝撃を受けてないか?」とか「自覚症状はないか?」とか聞かれた。私自身は全く普段と変わりなく何の痛みもない。結局、泌尿器科の先生を呼ぶことになった。待つ間にCT撮影と血液検査を受けた。

さらに待たされて、泌尿器科の先生が現れた。ひげ面の私より少し若そうな人だった。血液検査の結果は異常がなく、CTにも怪しい所は無いらしい。とりあえず膀胱洗浄をすることになった。素面で竿にカテーテルを入れられるには初めてだった。腰砕けになるようなへろへろの感覚を何とか耐える。すると、出血はもう止まっているようで、洗浄された水はきれいだった。一安心だ。出血死する心配はない。しかし、帰り際に、これだけの出血をするということはどこかに問題があるので絶対に精密検査を受けるように念を押された。

 家に帰ったら午後6時を回っていた。嫁に事の顛末を話し、あした泌尿器科の外来に行くことにした。血が止まって普通のおしっこになったので、比較的安心して床についた。 

2007年7月30日(月)

 朝仕事の段取りをしてから10時半頃市立病院泌尿器科の外来にはいる。アポ無しなので、2診に通されたのは12時を回っていた。若い研修医の様な先生に問診を受けて、エコーを取ることなった。エコーの画面を見ながら若い先生は「う〜ん。これは・・・主任に見て貰います。」「なんかやばいんか・・・」と私が思っていると、田村正和のような長髪でヨン様の様なメガネを掛けた主任の岡先生がやって来た。実はこの先生私より1歳上で愛媛大学医学部卒、一緒に教養の授業を受けていたかも。その岡先生にエコーを見て貰う。かなりしつこくエコーした後で、「これはエンハンスした方がええねぇ。」医師としての長年のカンがそうさせたのか、この先生の一言で超精密に検査を受けることになり午後から2つ検査を受けることになった。長い1日はまだ中盤だ。

 最初の検査は造影剤を注射してCTを取る「エンハンスドCT」だ。腕に注射をされてCTの筒に入る。相変わらずCTの起動音はエバンゲリオンの起動音に似ている。終了後1時間程で、今度は尿の動きを見るレントゲンとCT。こちらは10分,20分,30分,1時間おきにレントゲンを撮っていく検査で、1時間ぐらい撮影台の上で仰向けになる。うたた寝しながら検査を受けて、すべてが終了したのは5時前だった。後で先生の話があるそうなので、廊下で待たされた。こういうときに一人でいると鬱になる。病院に付き添いが多いのが分かる気がする。「井上さん〜。」私の名前が呼ばれた。

何度もお世話になったCT

 診察室に入る前に看護婦さんが「ご家族の方はおられませんか?」という。「家族呼ばないけんほど悪いんですか?」思わず問い返してしまった。こういう時(所謂告知)はだいたい家族同伴らしい。嫁は子供と実家に遊びに行っていたので30分ぐらいで来れるが、「重たい告知だったら、いきなり嫁にも背負わすのは厳しいやろう。」と思い、単独で告知を受けた。しかし、私には命に関わる告知を受けるという意識がなかったが・・・岡先生の前に座る。壁には私のCT写真が何枚も貼ってある。小心者の私は先生にある申し出をした。「いきなり告知を受けると失神したらいけないので、私が質問するので先生はハイかイイエで答えて下さい。」笑いながら先生は快諾された。血尿が出て以来、ネットで色々な知識を得ていた私は何となくどこが悪いか分かったいた。酸化した血の様な血尿は腎臓からの出血が多いとか・・・私の命に関わる問答は以下のような感じだった。

「腎臓にポリープがありますか?」「はい。ポリープではなく腫瘍ですね。」「では、それを取り除く手術が必要で、腹腔鏡手術でできますか?」「はい。腹腔鏡手術でできますが、もう一声!」「えっ?」ここで先生に言われたことは、腎臓の腫瘍は80%以上の確率でガンであること。私の場合は初期で4cm程の大きさであること。腫瘍が内部に発生しているため部分切除はできず左腎臓全摘出になること。手術をすれば5年後生存率は90%を越え命に別状はないこと。腎臓は1つでも通常生活には問題がないこと。etc

患部のイメージとしてはこんな感じ

「左腎臓全摘出!!」まさしく、ガンダムハンマーで頭を強打されたような衝撃だ。「何でワシが?!」情けないやら悲しいやらで両目に涙がにじむ。転移等の検査の日程を決めて、落ち込みながら家に着いたのは午後7時くらいだった。嫁と両親に事態を説明するが。自分でも何を言ったかよく覚えていない。嫁は割と落ち着いていて、「手術受けたらたすかるんやろ。」と慰めてくれた。流石に生命を産み落とす女性は冷静だ。両親は「腫瘍でも良性の可能性がある。」など楽天的だ。一人で居ると悶々とするので、軽めのテレビ番組やDVDを見て、12時頃床についた。疲れていたのと、もともと楽天的な性格なのかその夜はあっさりと眠れた。長い一日だった。

2007年8月2日(木)

今日は検査を2つ受けることになっていて、10:00に検査だったので9時半過ぎに病院にはいる。あいにく台風が接近中で職場が心配だ。予約を取っていたためか、10時前にすんなりと胸部CT撮影を受けることができた。CT取るのは何回目だろうか。すっかり技師のおばちゃんと仲良しになってしまった。

次は骨シンチという骨への転移の検査だ。造影剤が骨に行き渡るのに3時間程掛かるとのことで、造影剤の注射を打たれて11時過ぎには一時帰宅になった。撮影は2時からとのことだった。強風も吹き始めたので、タクシーで練習場に直上がりして、ネットを降ろしたり閉店準備をして12時半頃に家に帰る。昼食に親子丼を平らげ、休憩の後再び市立病院に。ラジオアイソトープ室に通されて幅の狭い担架の様な台に仰向けに横になった。「検査は30分程かかります。動かないで下さい。寝てしまっても良いですよ。」と言われ検査開始。顔から足の先まで体の上にはセンサーの付いた蓋が掛けられた。目を開けていても何も見えないので、目をつぶって安静にして30分待った。ラジカセから癒し系のクラッシックが流れていた。とりあえず、今日の検査はおわった。腎臓ガンが転移しやすい肺と骨の検査だった。結果が出るのが6日のMRI検査の後なので、しばらくは転移の心配をしながら暮らす事になる。心配したところでどうなるものでもないが・・・

骨シンチの機械(最新型)

2007年8月3〜5日

6日の検査の後すぐに入院という事態もありかねないと思い、4日には長男の誕生日で筏釣りに行った。さらに毎晩風呂上がりに、私がかき氷を作るのが日課になった。飲み会や太鼓の練習等もキャンセルしてなるべく家にいるようにした。一人で居るとガンや転移やいろいろなことに囚われて、結局自分の葬式のことまで考えてしまうので、お笑いやらアニメ番組を見て早めに床につくようにした。

2007年8月6日(月)

今日は検査の後、先生から詳細な病状や転移の有無についての説明がある予定だ。朝起きると、嫁と母がその説明を聞きに行くとメモ帳を持って準備していた。説明する手間が省けるのと、こういう病気の時の告知は家族が付きそうのが定番らしいので快諾した。午後2時に泌尿器外来に行き、MRI室に連れて行かれた。そこでガウンに着替えて検査を待つ。MRI検査は身体に何か身につけていたらいけないそうで、コンタクトもはずした。入れ歯はダメだが、差し歯や歯に詰めている金属は大丈夫らしい。カツラや付けツメもアウトだ。MRIはCTより二回り程小さい筒状だった。体重を聞かれ、「狭いところは大丈夫ですか?」などと聞かれた。音がうるさいらしいのでヘッドホンを付けられた。誰の選曲か分からないが癒し系クラッシックが流れていた。いよいよ筒に入る。筒の中は狭くちょっと暑い、余りクリアランスが無いようだ。試しに目を開けてみたら、全面ベージュの壁!「うわーっ。筒の中に密封されとる。」と閉所恐怖症の念に取り憑かれちょっとパニック状態になる。やばくなったら握るように言われたボールを握りそうになる。しかし、もう一度目を開けて見てみると、私が大きいためか、目は隠れているが頭は筒から出ていた状態で一安心。精神は安定して40分ぐらいの検査が終わった。

MRI検査の様子

4時頃に、検査が終わった旨を嫁に連絡、20分程で嫁と母があらわれた。泌尿器科外来の通路で説明を待つ。「今日取ったMRI検査の結果が出てそれからになります。」とドラえもん体型の主任看護婦に言われた。この人も顔なじみだ。3人で待っていると悶々とすることもなく時間の経過も早いが、延々待たされて診察室に呼ばれたのは6時をすぎていた。結果から言うと、病状は左腎臓の腫瘍で転移は無し。岡先生は先日私が受けた説明をひととおり嫁と母にして、質疑応答になった。岡先生はハッキリものを言うサッパリしたタイプの医者で、私は最初に見て貰ったときから信頼を置いている。やはり、手術についての質問が多かったが、「腹腔鏡手術なら次の日には歩いてトイレに行けて、術後1週間で退院できますよ。3日で退院した人もいますよ。」と言った具合の返答で嫁も母も一安心した様子だった。すぐに入院しても手術しても良かったが、セカンドオピニオンを求めることになり県立中央病院の管先生とがんセンターの住吉先生にアポを取った。

2007年8月7日(火)

セカンドオピニオンで県立中央病院の管先生を訪ねた。管先生は県内で腹腔鏡の第一人者で市立病院の岡先生の師匠に当たられる方だ。嫁と二人で8時半頃に家を出て松山に向かった。遊びに行くなら楽しいドライブだが、今回はそうもいかない。会話も病気についての話が多くなる。10時頃県中に到着、施設はかなり老朽化しているが宇和島市立病院に比べると新しくてきれいな感じだ。患者は年寄りを中心にかなり多く、この辺は宇和島と変わらない。予約が取れなかったので呼ばれたのは12時近くだった。午後からオペが入っているらしく我々が最後らしい。

管先生は人当たりの良さそうな50代の方で、関西弁まじりでわかりやすく丁寧にお話しをされた。我々が最後だったので、持参したCT写真やらを広げて30分程色々と質問に答えて貰った。4cmなので部分切除して腎臓の一部を残せないことはないが手術が格段に難しくなることや宇和島で十分対応できる手術であることなどをお聞きして私も嫁も決心を固めた。先生曰く「ウチの患者さんには術後2ヶ月したら、ゴルフに行けいうていいよるんじゃ。」(笑)「釣りはどれぐらいで行けるのだろうか?」私は心の中で思った。

2007年8月8日(水)

年には念を入れて今日もセカンドオピニオンで松山に行く。今日は国立四国がんセンターの住吉先生を訪ねる。四国がんセンターは郊外の南梅本町に移転してバリバリの新築である。学生時代に流した11号線の近くだ。今日の予約は10:30なので10時前にはがんセンターに入った。最新である。受付システム、会計など効率化が図られている。病院の中にファミマもある。ここのファミマは生花やおむつなどもある。「どうせ入院するならこんなところがええなぁ。」「ここはがんセンターやけん、ここにおる人はみんなガンなんやろか?」などと、嫁とくだらない話をしているとやっと診察の順番を知らせるメロディーが鳴った。11時過ぎだった。

住吉先生はベテランらしく一通りの説明をしてくれた後、全摘出手術を勧めてくれた。腎臓がひとつになってからの生活など話してくれたが、5分程で診察は終わった。昨日の段階で宇和島で岡先生にお世話になろうと決めていたので、その決断を後押しする形となった。その後、なつかしのカツレツ亭11号店で昼食を取り、帰宅したのは2時過ぎだった。

思い立ったが吉日、帰宅してすぐに嫁と市立病院に申し込みにいった。ちょうど岡先生がいたので、話をして詳細を決定した。8月20日(月)午後2時より入院、同22日(水)手術となった。順調にいけば8月中に退院だ!

2007年8月9〜19日

何ら自覚症状がないので生活自体も通常と変わりなし。血尿もあの日以来一度も出ていない。お盆には念入りに墓参りをして先祖に病気の治癒と手術の安全を祈った。やはり、ガンともなるといくら初期と言われていても転移も怖いし、ワラにもすがりたくなる気分だ。日中は通常通り仕事をこなし、夜は極力家族と過ごすことを心がけた。かき氷作りも毎日の日課となった。寝る前にはネットで腎臓ガンの体験記や論文を読みあさった。腎臓ガンは進行の遅いガンで胃ガンなどのガンが100日で倍の大きさになるのに対して、倍になるのに5〜10年というケースもあり進行が遅いらしい。進行が遅いだけに5年で完治とは言えず検査は続けなければならないそうだ。しかし、進行が遅いとはいえ転移はし易く、肺や骨への転移が多いそうだ。気休めになる記事もあれば不安になる記事もあったが、何となく入院と手術のイメージができた。私の入院手術で子供たちにとっては夏休みが10日程短くなってしまうので、17日にはマッドアングラーのガンダム隊員も合流して家族で筏釣りを楽しみ、19日は外食をして旨いものを食べた。外食の時に子供たちにも「お父さんのおなかの中に悪いものができたけん、入院して手術するぞ。」と打ち明けた。子供たちは??といった感じだった。19日の晩は入院の準備をして11時頃床についた。

2007年8月20日(月)

いつも通り朝仕事に上がる。従業員を連れて田んぼに行き仕事の段取りをする。早めに退社して、念入りにシャワーを浴びる。縁起を担いでとんかつを食べて、仏壇に手を合わせてから、嫁と市立病院にいく。外は超炎天下の酷暑だがしばらく夏の日差しともお別れだ。

泌尿器科の外来で待っていると主任看護婦さんが出てきて、「これから検査がある。」と言われた。しかし、看護婦さんのミスで、実は今日は昼食と取ってはならなかったらしい。よって、おなかが空くまで検査ができないとのことで、病室で待つことになった。病棟は3階でちょうど外来の上にある。個室を希望していたが、空いてないのでとりあえず4人部屋に入れられた。定番のトイレや風呂など施設の説明があったが、泌尿器科ではおしっこはトイレに流さずに全部尿瓶にとって袋に入れるのだ。トイレには私の名前の書いてある使い古しの尿瓶とビニール袋があった。これは患者の尿の色と一日分の尿の量調べるためだ。たくさんの病気のおしっこがあるので泌尿器科のトイレは吐きそうなにおいがしていた。

病室は4人部屋と言っても個人スペースはかなり広かった。おまけに2名は外泊で留守、お向かいのじいさんと私の二人だけだ。このじいさんは病室の主みたいな感じで長いキャリアを感じた。少し呆け気味でたまに訳の分からないことを発していた。何でも奥さんも寝たきりで誰もお見舞いに来ないそうだ。しばらく嫁とテレビを見ていると外来に呼ばれてCT検査となった。今日の検査は造影剤を入れて血管を撮るそうだ。私の体の血管の地図を作って手術のアプローチ法など決めるそうだ。撮影の後、先生の簡単な診察があり病室に戻る。今日の段階では病人ではないので嫁は帰宅して、6時頃一人で病院の夕食を迎える。昔ながらのどんぶり飯におかず少しの宇和島市立病院の飯だ。この日は何もなく消灯時間の9時までテレビを見て寝るが、眠れず寝付いたのは12時過ぎか。ところで、今回持参したテレビは、テレビというか東芝製のTVチューナー付き7型液晶DVDプレイヤーで非常にコンパクトで持ち運びも楽で映画も見れて重宝した。

2007年8月21日(火)

病院の朝は早い。5時前から廊下をウロウロする老人が多数出没し、6時にはトイレ洗面所は大にぎわい、6時半には朝食は8時だというのにお茶の配給が始まる。私は眠たくてしかないのだがやむなく起きる。病院の良いところは朝でも昼でも好きなときに眠れることだ。朝食が済んでしばらくすると、先生の回診があり、今日は毛を剃るだけで寝る前に下剤と睡眠薬を飲む事を告げられた。明日の手術の時間は午後にならないと分からないそうだ。「やっぱり、毛を剃るんかぁ。」私は胸毛腹毛はおろか背中にも毛が生えている。大変そうだ。いろいろと思いを巡らしていると、看護婦さんがやって来た。若い新採のナースを希望したが、残念年配のおばちゃん看護婦だった。シーツの上に新聞紙を敷かれ電動のバリカンみたいなので腹、背中、もも、竿の上あたりの毛を刈られた。カミソリで剃るかと思ったらバリカンだった。何でも手術後に貼るテープの付きを良くするために刈るそうで、感染予防とか衛生面で刈るわけではないそうだ。どうりで刈り方も割といい加減なわけだ。

剃毛いや刈毛が済んだ後、すぐに嫁がやってきた。しばらくして看護婦に呼ばれてナースステーションで岡先生と手術の打ち合わせ、明日の9;30からオペとなった。嫁は子供の習い事で昼前に帰ったが、その後麻酔科の医師の話もあった。こちらは前も経験しているので頷くだけだった。昼食を取ってごろごろしていると、突然引っ越しになった。個室が空いたようだ。引っ越しと言っても向いの部屋だった。向いの個室にいた人が私の4人部屋に入った。私は個室希望だったので明けてくれたのだ。前回の蓄膿の時は個室希望にもかかわらず、最高で二人部屋、その後転々と6人部屋をまわされた。この部屋にいつまで居られるのやらと思いつつテレビ等の配線を行い晩飯を迎える。病人でない人にはおいしくない晩飯ではあったが手術前の最後の晩餐だ。しばらくは飯も食えんだろう。午後九時以降は飲食禁止なのでテレビを見ながらおにぎりせんべいを味わいながら食べた。9時前に看護婦が睡眠薬と下剤3錠を持ってきたので飲む。薬のおかげか夜九時にもかかわらず、すぐに寝付けた気がした。

2007年8月22日(水)

目覚めよく起きたら5時過ぎだった。私はよく起き抜けに便意を催すのだが、下剤も効いてか速攻で便器に座った。6時前に男の看護士が浣腸を持ってきた。雑誌とかでビデオでよく見る浣腸も私は初体験だ。注入されるとき小恥ずかしいので「これはグリセリンですか?お湯ですか?」と専門的なことを聞いてしまった。「最低でも5分ほど我慢して出して下さい。」と言われたが、ただでさえ私は便意が近いのに下剤に浣腸注入、2分も経たずに大開放してしまった。しかし、起き抜けのトイレでほとんど出ていたようで、便意と音の割にはたいしたこと無かった。先日来、竿に管を入れられたり、毛を剃られたり、浣腸されたり、もしその手のフーゾクだったら1万5千円相当のSM恥辱プレイだ。

当然朝食も抜き。隣近所で朝食のお楽しみタイムが始まっているが、私はボーッとテレビを眺めていた。8時過ぎに筋肉注射を打たれる。元気なうちに、手術が成功したら知人に送るケータイメールを打ち込んでセットした。手術後でも送信ボタンぐらいは押せるだろう。大分ボーとしてきた。知らない間に生食の点滴が付いていた。知らない間に嫁が来ていた。今晩は泊まりで付き添ってくれるそうだ。9時15分ぐらいか看護婦がやって来て服を全部脱がされて、中央手術室への搬送となった。やはりボーとしている。搬送中は廊下にいる人や通行人がじろじろ見るので、患者は意識があっても目をつぶっているそうだ。私は嫁と話していた気がする。嫁と別れを告げて、生涯2回目の中央手術室に入る。末広がりの8号室だったのを覚えている。4号室だったらびびる。手術台に自力で移り、スタッフの紹介を受けた後、背中に硬膜外麻酔の処置を受けた。ネットで読んでいた程気持ち悪くなかった。一安心。「硬膜外麻酔入れます。」の声で背中がスーとして気持ちよかった。そして左手に繋がれた点滴に麻酔が繋がれた。これで意識は無くなる。前回と同じく「麻酔入ります。」の声で私は落ちた・・・全身麻酔というのは睡眠状態とは違って脳もほとんど活動しないそうだ。前回の麻酔の時もそうだったが、私は亡くなった祖父や祖母に会うかと思っていたが麻酔の最中は何もない。無の世界だ。

「井上さん!」の声で意識がもどった。一瞬自分が何をしているのか分かなかったが、息苦しさで状況が分かった。「手術が終わったのだ。覚醒したと言うことは生きている。手術は成功だ。」私が自分で呼吸を始めると、のどの管が外された。そして、鼻の管も外されて5時間ぶりに自分の肺で空気を吸う。麻酔が効いているのか切られたであろう左腹は何の痛みもない。しかし、「いてぇ〜。」右手がむちゃくちゃ痛い。手術中私は左側面を上にして横になっていたようだ。右腕は5時間もの間下敷きだったのだ。手術室を出ると、両親、弟、嫁と嫁の両親の顔が見えた。「いとないか?」「右腕が痛い!」こんなやり取りをしたそうだ。まだ本格的に覚醒して無かったらしく良く覚えていない。

病室に帰ってきたのは3時過ぎだった。私は下図1のようなチューブ人間状態だった。硬膜外麻酔が良く効いていて患部の痛みはない。後で患部を見たら、背中から腹にかけて3カ所穴があけてあり、2〜3針横に縫ってあって、へその左横に斜めに7針程切ってあった。これは臓器を取り出す時の穴だ。(下図2参照)両親が病室にやってきて少し会話を交わした。腹に力が入らないので、長くシャベルと息が切れてしんどい。落ち着いてからメールを配信して寝る。手術で疲れて眠れるかと思ったら、繋がっているチューブと血栓防止用のフットプレスで眠れない。テレビを見たり音楽を聴いたりする気も起きないのでじっと体を休めた。嫁は普段育児と家事に追われて見ることができたかったキムタクのDVDを見ている。この日の夜はほとんど眠れずに長い長い夜だった。明日になればもっと良くなることを信じて静養するしかなかった。まあ、痛みがないのが救いだが。

2007年8月23日(木)

一睡もとは言えないまでもかなり眠れなかった。蓄膿手術の時の方が眠れた気がする。それでも、朝7時頃にはフットプレスが外され、足が動くようになった。若干だが体を傾けることも可能となった。普通に安静にしている限り患部の痛みはない。硬膜外麻酔というのはヤマトの波動砲より威力がある。これの中身はモルヒネだ。巾着袋の中にモルヒネ200ccパックが入っており、0.5mmぐらいの細い管を通して直接背骨に送り込まれる。1時間に4ccずつ出るように調整されている。「痛みが酷い時は押して下さい。」というスポイトのような増量ボタンが有り、背中にスーとした感覚が走り痛みが止まる。この一押しにサイボーグ009が加速装置入れたり、ガッチャマンがバードミサイルを打つような感動がある。だいたい2〜3日は持つそうなので、私は少しでも温存しようと増量ボタンを余り押さなかった。

当然、朝飯も抜きだった。手術後に「胃腸が活動始めたら、水もおかゆもいけますよ。」と看護婦さんが言っていたが、私は夜中から腹が減ってグーグー鳴っている。その旨を伝えたら水を飲むことを許された。点滴で水分が入るので体は乾かないが、のどや口の中は、うがいだけでは潤わない。寝たまま飲んだのでちょっと水が気管に入ってしまい、咳をしたら患部に激痛が走った。咳やくしゃみは命がけだ。お笑い番組で笑うのも勇気が要る。腹を切るとはこんなものか・・・胃腸が動きだしたのは良かったが、次に私は便意に襲われた。ただでさえ便通の良い私だが、モルヒネを使うと便秘になるらしいのにおかしい。看護婦に聞いたら「下剤の効果が残っていたのでは。」と言われた。おしっこは尿道カテーテルで袋にたまっているが、ケツはそのままだ。嫁や看護婦はおむつをしてやるから用をたせと言うが、寝グソ垂れになりたくない!!一念発起した私は歩いて便所に行くことを決意する。医者からは手術の次の日から歩きなさいと言われていたが、現在朝の9時で手術から17時間弱である。嫁や看護婦に、ベットを起こして貰って、足を床に降ろして貰って、手を引っ張って貰って上体を起こして、根性で立つ!生まれたての子馬のようにプルプルだ。その後は初めて操縦した旧ザクのようにぎこちなく点滴スタンドに持たれながら、トイレまで2分程かかって便座に座る。病室のベットに帰ってきた時にはエベレスト登山から帰ってきた時のように疲労していた。何と午前中3回も便意に襲われ、そのたびにこれを繰り返した。

私のめざましい活動?は看護婦さんたちからも賞賛を受けた。というか、あきれていたと思う。しかし、胃腸の元気さが認められ昼食が出ることになった。やはり病院で言うところの軟食・軟菜でおかゆに煮物、みそ汁、うれしいことにバナナとプリンが付いていた。食欲もまあまあ有ったので完食してベッドで休む。このころになると便秘気味で、便意を感じてトイレにいくとガスのみということが頻発した。昼食後先生が様子を見にやってきて、私が歩いたことを告げると、尿道カテーテルを外すと言い出した。これはおしっこでもトイレに行くということで、そのたびに苦痛に顔をゆがめることになる。結局、カテーテル抜去後は尿瓶とトイレ歩行を併用した。しかし、夕方までに私は7回もトイレに行った。カテーテルが無くなったことで、チューブは患部からの出血や水を出す5mmぐらいのドレンホースと左手の点滴、背中の硬膜外麻酔(これは気にならない)だけになった。おかげで1回1時間ぐらい落ち着いて眠れるようになった。お見舞いに来てくれる人もいて色々話をするが、余り大きな声が出ないのと長く話をすると辛かった。高校時代からの親友のてっちゃんが夫婦で来てくれた。話したいことが沢山あったがやはりしんどい。

色々世話をしてくれた嫁さんも夕食前には帰って、起きる時には看護婦さんを呼ばなければならなくなった。夜は久しぶりに巨人戦のナイターを見て浮き世を感じた。消灯時間になり「今夜は寝れそうだ!」と期待していたら、胃腸が活発に動き出して患部を刺激し、痛みが発生するようになった。我慢できる痛みだが眠れないので、モルヒネ増量ボタンを1回と痛み止めの注射をしてもらった。2時間ぐらい眠れた。

2007年8月24日(金)

やっぱり昨晩は余り眠れなかった。朝飯はおかゆと煮物とみそ汁、私は朝からご飯は食べられない人なんだが、病院お楽しみは食事なので喜んで食べる。朝の回診で傷口に貼り付けてあった透明なテープを外された。何でも手術後48時間で外すそうだが、まるで工作の様である。しかし、このテープは優れもので、縫ったところが裂けないようにする保持機能と患部への細菌の侵入を防ぐ機能があるらしい。ちなみに、剃毛していたのではがしても痛くなかった。ドレンホースの部分だけはまだテープで固定されているが、後は腹帯だけとなった。ガーゼとか当てているよりも治りが早いらしい。

体力的にもさらに回復し、ベットを起こしてもらえば一人で立てるようになった。食事もしっかり取って便も出ているので、水分補給のため繋がっていた点滴も外された。両手が自由に使えるようになって、このころからDSのゲームもやり始めた。この日も親戚を中心にお見舞いの人が多かった。大阪で内科医をしている従兄がわざわざ宇和島まで診察と見舞いに来てくれた。「やっぱり、若いから回復も早いねぇ。退院したら生活にも気を付けないかんよ。」と励ましてくれた。大阪の従兄たちは長男である私にとっては兄貴分的な存在で、幼少の頃から可愛がって貰った。

嫁は、このところ病院に朝10時前にやってきて夕食前に帰るという生活だった。大分回復していたので世話は必要なくなったが、結構お見舞いに来て貰うので、接客用に週末は来て貰うことにした。夕食はついに普通の飯になり、ベットではなくテーブルに座って食べられるようになった。嫌いな焼きなすが出ていたが我慢して食う。健康第一である。食事制限はないがダイエットしなければならないので、お見舞いのケーキやシュークリームもほとんど自宅で待つ子供の口に入った。水分は取るように言われたので、1日2リットルぐらいの市販水を飲んでいた。この夜は昨夜のこともあるので、睡眠薬を貰って飲んだら9時から4時まで久々によく眠れた。夜間のおしっこは眠かったので尿瓶で済ませた。2〜3時間に1回、看護婦が巡回して尿瓶を交換してくれるので余り臭くなく有りがたい。

2007年8月25日(土)

6時までは看護婦も来ないので早朝の時間帯は映画鑑賞に最適だった。気合いを入れずとも見られるクレージーの映画や銀英シリーズをみた。朝食は白米にみそ汁、ゆで卵に佃煮、元気になってきて味覚や嗅覚がだいぶ復活してきて、トイレは臭いし、飯はまずい。今日は午前中にドレンホース、午後には大変お世話になったモルヒネチューブが外された。ついに生身の人間に戻ったのだ!回診の時に先生が「もう病院ですることは終わりました。いつ退院しても良いですし、いつまで居ても良いですよ。」と冗談交じりに言ったので、「せめて、抜糸が済むまでおいて下さい。」と哀願した。病院にいても安静にするだけで、薬を飲むわけでも治療をして貰うわけでもない。なるほど手術後3日で退院というのも可能だ。後でこっそり婦長に聞いてみたら、だいたい皆さん抜糸の次の日にめでたく退院されるそうだ。

チューブが外れるぐらいなので、体力的にはさらに回復して一人でベットから起きあがることが可能となった。ただし、動くとやはり傷口が痛む。縫ったところのツッパリ感もイヤな感じだ。もっと腹筋を使うことはできるとは思うのだが、怖くてトイレでも本当に力めない。しかし、日々回復していく自分の体に「人間の生命力とは大変なモンだなぁ。」と感心してしまう。チューブが無くなったので、嫁に洗髪して貰った。バックシャンで念入りに洗うと気持ちよいこと。ドライシャンプーでは味わえない。夜もよく眠れるし昼寝も気持ちよくできる。シャワーもOKらしいが病院お風呂は汚いので気が進まない。毎日ふき取りの要らない石けんで体を拭いているので不快感はない、特に銀の成分がしみこんだ汗拭きシートは爽快だ。土日はお見舞い客も多いので病院にいて、月曜日に一時帰宅してシャワーを浴びることにした。

午後になるとお見舞いに五万会メンバーの佐伯さんと高田が長駆宇和島まで来てくれた。私もこんなことにならなければ、今夜は松山で中華オーダーバイキングの宴会だったのに・・・気の置けない仲間の訪問にしばし時を忘れたが、やはり長くはしゃべれない。体力が落ちているのだ。しかし、病室にいるとすることがないのでごろごろ安静にしてしまう。とりあえず院内の散歩を始めた。ナースステーションの前の体重計に乗り、中央手術室前の待合いソファーで休んで病室に帰る。気が向いたら1Fの売店で立ち読みをして時間をつぶす。夜は9時から12時ぐらいまで快眠、10時頃クーラーが切れて暑くなって起きるのがちょうど12時頃だった。枕元のサーキュレーターのスイッチを入れて朝まで送風、これで5時頃まで眠れた。5時には外がうるさくなるので目が覚める。

2007年8月26日(日)

相変わらず5時前に目が覚める。いつものようにDVDを見て朝飯を待つ。私のリクエストが通り今日からやっと朝飯がパン食になった。丸いコッペパンが2個と給食に出るようなマーガリンとイチゴジャム、牛乳は米飯でも付いている。しかし、ご飯がパンに変わっただけでおかずやみそ汁は同じだ。アメリカ生活のせいではないが私は「朝はパン」党で小学校高学年からパン食だ。回復具合も順調でベットからの離床も慣れてきてた。腹筋もだいぶ使えるようになってきて、動かしても前程は痛くない。ただ、皮膚の縫ってあるところが引っ張られて少し痛い。

今日も来客対応のため嫁が来てくれた。一人いてくれるとベットのリクライニング調整とかエアコンの調整とかだいぶ助かる。お見舞いで貰うケーキなどの甘いものは食べないようにしているが、嫁が梨、リンゴ、ブドウなどを持ってくるので食後の楽しみがある。来客は思った程多くなく、のんびりと病院での日曜日を過ごした。また、夜も病院のリズムに慣れたのか割と眠れるようになった。人間の適応能力はすばらしい。

2007年8月27日(月)

いつも通りに5時前に起きて今日はDSで暇をつぶす。パン食になった朝飯を平らげて、朝の回診となった。ここ2〜3日は回診と言っても創部を見られて、「変わったことはないですか?」と聞かれるだけである。回診の時に引っ越し命令が出た。「また、タコ部屋生活か・・・」と思ったが、離れた別の個室への移動だった。一安心。どうやら、生体腎移植があるらしくドナー用に私の部屋を使うらしい。私のように病気で腎臓を失う者もいれば、家族や知人のため腎臓を提供する者もいる。手術の成功を祈ろう。

今日は一時帰宅でシャワーに入る予定だ。荷物をベッドの上とテレビ台にまとめてあとは看護婦まかせで、タクシーで1週間ぶりの我が家に帰る。両親に顔を見せて仏壇に手を合わせ先祖に無事を報告する。子供たちは相変わらず賑やかで、事の重大さを飲み込めていないようだ。念入りにシャワーとシャンプーをして、特に股間が臭くなっていたのでさらに念入りに洗い清めた。サッパリしたところで家族と昼食、久しぶりの臭くないご飯だ。まだ、動くとすぐ疲れるので自室で1時間程横になる。まあ、1週間も寝ていたら体もなまる。今日は子供たちは午後からスイミングでついでに嫁の実家でお泊まりだそうだ。私の入院で延期になっていた里帰りだ。その便で病院まで送ってもらい3時半頃帰院した。

新しい部屋はちょうど反対側の2番目の部屋で前はトイレと風呂場でやはり騒がしい。退院間近の人が入る部屋だろうか、ナースステーションからも遠いし食事の食器も30mぐらい歩いてコンテナに返さなければならない。内装は前の部屋よりキレイだが日当たりと風通しが悪そうでイヤな感じ。ごろごろと時間を過ごして、病院のまずい飯に逆戻り、またナスが出たので残してしまった。シャワーを浴びてすっきりしたので、快眠を期待して床についた。しかし、寝付いてすぐに金縛りにあった。私は受験勉強の時など毎日のように金縛りにあっていた。今でもたまに金縛りに会う。金縛りに慣れているし、金縛りの原理も理解しているので怖くはないが、病院でかかると気味が悪い。これは私の錯覚かもしれないが、ベッドが天井まで浮いているのを感じた・・・

2007年8月28日(火)

いつも通りの普通の朝だった。寝苦しかったせいか、掛け布団がぐちゃぐちゃになっていた。「久しぶりに家に帰って刺激があったために、金縛りにあったのだろう。」と思いながら、朝食を頬張る。いよいよ明日で退院だが、今日は人間ドックで指摘されていた胆嚢胞の診察を内科で受けた。どこの総合病院でも同じかもしれないが内科はいつも超混みだ。特に市立病院の内科は6診まであるのに、いつも混んでいて待合いの通路は満員電車状態だ。予約無しだと地獄を見る。1〜2時間待たされて診察は2〜3分で並んで薬をもらって、半日が終わる年寄りがたくさん居る。今回は泌尿器科から予約が通っていたのですぐに見てもらえた。が、診察も問診だけですぐ終わった。明日、退院前にエコーを取ることになった。「何事もなければよいが、もう手術はいやだ。」「まさか、転移かぁ。」色々な感情が頭をよぎり不安になる。こうなれば頭と股間以外の悪いところすべて直して貰おう。開き直るしかない。

午後からは院内探検をした。毎週火曜日はシーツ替えの日で全室一度に替えるので40分ぐらい部屋を追い出される。仕方なくウロウロと院内を徘徊した。外は残暑と言うには厳しすぎる暑さで院内の通路もかなり暑い。脱水にならないようにエビアンのボトルを携えてリハビリの一環と思い歩き回る。やはりお気に入りは中央手術室前のソファー。部屋に帰ったら汗だくで着替えて静養。新しいシーツは気持ちが良く、夜も何事もなく快眠だった。明日は退院だぁ。

2007年8月29日(水)

今日で手術から丸1週間、自分でもビックリする回復ぶりだ。今日はエコー検査があるので昨晩から絶食絶水だった。病室で回診を待っていると、岡先生は今日は外来なので、最初に急患で見てくれた髭の山下先生がやって来て、速効で抜糸をされた。抜糸の痛みは、ほとんどの場所が平気だが、痛点があるところは注射ぐらいの痛さだ。飛び上がる程の痛みはなかった。今回の入院では痛みという点では想定内だったので楽だった。蓄膿の時に味わった痛みが私の痛さNo.1だ。否、ワースト1だ。

8時半頃に予想より早く内科の検診に呼ばれた。相変わらず混雑した待合い通路からスウィーと診察室に入った。VIP待遇だぁ。15人抜きかぁ。そして、ドック等今まで受けたエコー検査の中で一番詳細に時間を掛けて見て貰ったと思う。やはり、胆嚢に7〜8mmのポリープが有るそうだ。胆嚢の場合10mmを越えると悪性の可能性が出てくるそうで、さらに私の場合ポリープが他の組織を浸食していないので、おそらく良性だと言われた。「手術も腹腔鏡で3カ所穴をあけるだけで済むので、気色悪かったら取っても良いよ。」と勧められたが、やっと退院なのに勘弁、勘弁。結局、3ヶ月後にまた検診を受けることになった。いわいる、経過観察だ。蓄膿日記、血尿日記、胆嚢日記の三部作にはなりたくない!!もう手術はゴメンだ。

病室に帰ると嫁が来ていて、私の見ていた銀英を止めてテレビを見ていた。エコーの結果を話してとりあえずは安心する。しばらくすると、看護婦が検査食と言ってパンと牛乳を持ってきた。入院代金の計算にもうちょっと掛かるので待つように言われて、そのスキにパンを頬張る。割とこのパンは好きだ。小一時間で計算ができ嫁が精算に行き、27万チョイかかっていたので、蓄膿の時とだいたい同じだった。10日間という入院生活だったが、私には1ヶ月以上に感じられた。嫁にとっても同じのようだ。血尿が出て以来ちょうど1ヶ月目の退院、突然襲来した病魔との戦いは私と嫁が勝利して一時休戦となったのだ・・・市立病院の裏口から外に出るときつい日差しの中で、ツクツクボウシが精一杯鳴いていた。

その後に経過について

9月10日が最初の検診となっていたので、それまでは静養に努めることにした。2日程は外には出ずに食事とトイレ以外はクーラーの効いた部屋で休んでいた。3日目から朝、晩会社に行って仕事の指図やレジの開け閉めをするようになる。バイクにも乗ってみたが、振動が傷口に響く。これは車でも同じ事だが。午前中動いて昼から静養の生活。

10日の診察は創部は一切見ることもなく、病理検査の結果報告だった。やはり、ガンだった。救いなのはリンパ系とか進行性の強いガンではなく普通のガンだったこと。発見がごく初期だったので、腎臓全摘出によりガン細胞は完全に取り除かれ、5年後生存率は90%を越えるといわれた。岡先生や他の先生からこの言葉を聞くのは10回以上になるが、「血尿が出て良かったねぇ。」と最後に先生が言われた。

普通の生活をしなさいと先生に言われたので、かなり普通の生活に戻る。

・重量物を持ったり厳しい仕事はやらない。しかし、稲刈りに同行し従業員を指揮、乾燥機や籾すり機の操作を行う。

・水分を取るために常にペットボトルを携行し、2リットル以上の水分を取る。

・創部の瘡蓋がはがれて普通に戻りつつある。

・減量も診察を契機に開始し、少しづつ体重も減ってきている。(目標はマイナス2〜3kg/月ペース)

・夜の宴会にも参加して、ビールをコップ1ハイぐらい飲み始める。太るし極力飲まないようにしている。

今のところ、順調な回復でゴルフ、釣りもできそうだ。次回の診察は10月15日に血液検査がある。